プロフィール

ohitori-moneylife

はじめまして、当ブログ「借金苦からの【おひとリッチ】生活宣言」の管理人ひなたです。

ここでは、子供のころからお金に苦労してきて、今なお借金苦で首が回らない私の借金エピソードを赤裸々に披露しています。

何も役に立たない長文生い立ちエピソードになりますので、お時間があって尚且つ他人の不幸話に興味がある方のみ読み進めていただけたらと思います…自分語りすみません。

ざっくりあらすじ
  • 自己紹介
  • 貧乏な子供時代
  • 大人になっても借金が膨れ上がっている理由
  • 借金返済して、お金に困らない生活を送りたい
  • なぜこのブログを始めたのか
  • このブログを通じて実現したいこと

自己紹介

ひなた
  • 40代独身女性、既婚歴なし
  • 派遣社員(もうすぐ正社員)
  • 実家暮らし
  • 結婚願望なし(一人が気楽…)
  • 家族全体の借金 約550万円(残金)
  • 人生で一度もお小遣いなし

15年間正社員で働いていましたが、高卒という低学歴が響いて正社員転職が叶わず、現在は派遣社員として5年以上働いています。

高卒OKの企業は、どこも年収が派遣社員で働くよりも低くて、とてもじゃないけど借金を抱える私には厳しいレベル…

ところが、ようやく紹介予定派遣で正社員登用が決まり、年収もアップする見込み!

年2回のボーナスで、借金を着実に返済していきたいという切なる願いを持っています。

貧乏な子供時代

それでは、ここから長い私のどん底貧乏エピソードが始まります。お時間のある方だけお付き合いください。

お時間がない方がほとんどだと思いますので、ぜひ「なぜこのブログを始めたのか」へ飛んでいただければと思います。

お年玉没収の子供時代

私は生まれた時からすでに貧乏でした。

理由は、祖父が作った多額の借金。祖父は病気で倒れて働くことができなくなってしまったため、両親が肩代わりして借金返済していました。

小学生に上がると給食費を滞納することが多かったです。

「給食費払ってないの私だけだよ」と母に訴えても「そんなことない、何人も払ってないって先生が言ってたから大丈夫(←ぜったい嘘)」と言われ、肩身の狭い思いをしていました。

親戚の家に遊びに行くと、必ずおじさんおばさんからお小遣いをもらいました。でも、家に帰ってきてから母に没収されます。

私は親戚が多かったのでクラスの友達よりも多くお年玉をもらうことができました。しかし、親戚からのお小遣い同様、母に全額没収されました。

「私がもらったんだよ」と反抗すると「お父さんとお母さんがあんたの従兄たちにお年玉をあげてきたから、あんたがもらえてるんだよ。だから、このお年玉はあんたのじゃないの」と怒られれ、1円ももらえず。

よく「お年玉没収されても、親が子供のために内緒で貯金してる」という話がありますが、我が家ではそんなことはあり得ませんでした

そんな感じなので、もちろん毎月のお小遣いなんてありません。

当時、雑誌の「りぼん」を友達がみんな買っていましたが私は買えず…友達に読ませてもらっていました(涙)

色々諦めた中高時代

合奏が好きな私は、中学では吹奏楽部に入りました。

でも、もちろん自分の楽器を買ってもらうことはできません。学校にある楽器の中から自分のパートを決めました。

選んだのはトロンボーン。毎日部活が楽しかったです。

高校は、電車の定期代がかからないように自転車で通える学校、そして大学へ進学せず高卒で働けるよう手に職をつけられる学校を親に指定され、ほぼ選択肢がないまま商業系の学校に進学することになりました。

その学校の吹奏楽部員は6人。学校の楽器はありません。

親にダメもとで「トロンボーンが欲しい」と言ってみましたが即答で却下されました(当たり前ですが)。

そんなわけで大好きな吹奏楽を諦めることになり、3年間クラス替えがないのにクラスで孤立するようになり、実は高校生活はあまり記憶に残っていません。

バイトはしていました。でも、バイト代は全額親に渡すことを強制され、少しのお小遣いももらえず、働いても何のやりがいもありませんでした。

クラスの子たちはバイト代で洋服を買ったり、ブランド財布を買ったりしていて、本当に羨ましかったです

お小遣いがないのに洋服はどうしていたかというと、母がたまに商店街の1000円以下で買える激安洋品店で買ってくる洋服を着ていました。

だから、あまり外出したくなかったですね…高校生のファッションセンスと全然違うので。

文房具などは、必要なものを親に申告して、その分のお金をもらって買っていました。レシートとお釣りはもちろん親に渡しましたよ。

大人になっても借金が膨れ上がっている理由

さすがに成人すれば親とも家計が別になって楽になるだろう…そんな夢物語は我が家にはありません。

ひなた家の家族は悪い意味で運命共同体なのです…。

成人しても一人暮らしができない理由

社会人になったら、多くの人は実家を出て一人暮らしをしますよね(大学から一人暮らしの人も多いと思います)。

ですが、我が家は先述のように超貧乏家庭です。

バイト代すら全額家計になっていたのですから、バイト代より多い正社員の給料を親が当てにしないわけがありません。

就職先は自宅(実家)から通勤できる範囲という指定が入り、実家暮らしは継続。御多分に漏れず、お給料は全額家計行きです(私のキャッシュカードは母が管理)。

そして、クレジットカードを作るように言われました。作ったクレジットカードはもちろん母が管理(名義は私なのに…)。

クレジットカードを作って3か月ほどたったころ、職場に電話がかかってきました。取り次いでもらったのですが「〇〇さん(個人名)からお電話です」と言われて、無知な私は頭に「?」が浮かびます。

〇〇さんなんて知らないけど誰?なんで会社に電話してくるの?

電話に出ると、クレジットカード会社の人でした。

家に電話をかけても出ない、滞納しているカード代金を支払うように、という内容でした。

そう、ブラックリスト確定です。

母に言っても「払うから」の一点張り。でも頻繁に会社に電話がかかってきます。クレジットカードは使えなくなり、借金だけが残りました。

母はいくらとは絶対に言いませんでしたが、キャッシングも枠いっぱいまで使っていたようです(母の浪費ではなく、生活費と借金返済に充てていたのですが)。

そんなわけで、私の給料を足さないと両親は生活できない状況だったため、私は実家を出ることができませんでした。

弟が借金を作って家出

ようやく祖父の借金が少なくなってきた!

というタイミングで今度は同居する弟がスロットにはまり、多額の借金を作っていたことが判明しました。

そして、親にギャンギャン怒られたくないからだと思うのですが、身一つで家出をしたのです。

弟が作った借金は350万円。それに大学の奨学金300万円も加わり、またお先真っ暗になりました。

日本学生支援機構から幾度となく家に電話があり、弟と連絡が取れないため連帯保証人である父に返済要求がありました…

祖父の借金があと残り150万ほど。そこに弟の借金650万円が上乗せされ、両親と私は暗い谷底に落とされたのです。

それが、私30歳の時でした。

借金に加えて税金の滞納まで…

おそらく、母は私と父が知っている家族の借金の他に、100万単位の借金をしていたのだろうと思います。

それは先述のように母の浪費ではなく、借金返済のための借金、もしくは借金返済で足りなくなってしまった生活費のための借金のどちらか。それが積み重なったものと思われます。

母は「借金がある」とは一言も言いませんが、自宅の郵便受けに差出人の書かれていないピンク色の封筒がちょくちょく入っているのですから、察しがつくというものです。

そんな感じなので、もちろん税金の滞納も頻繁にしていました。

役所から自宅の差し押さえや書面も届きます。

いつ自宅に住めなくなるのかビクビクして過ごしていました(母がどう支払いをしているのかわからないので)。

退職金200万円が消えていた

私は10年以上働いた会社を辞めたタイミングで、資格を取得するための学校に通うことにしました。

その学費を退職金から出すことを家族で合意(退職金はなかったものとして学費に使う)。

そして…入試や手続きを済ませ、いざ入学金と初期費用を振り込むタイミングで母が私にこう言い放ったのです。

「ごめん、もうあんたの退職金ない」

耳を疑いました。数か月前、家族で合意したお金です。

200万もあった退職金が数か月ですっからかんになっていたことを知り、私は絶望しました。

何のためにこの数か月準備してきたのか。入学まであと1か月半のこのタイミングで入学辞退することになるとは…。

滞納していた税金の納税(延滞金込み)、滞納していた借金返済に使ったと言っていました。

母が浪費したわけではないので(とはいえ、使うなら事前に相談があるべきですが)一方的に責めることもできず学校へ入学辞退の連絡をしたところ、奨学金を利用することで、入学金や初期費用は猶予すると返事がきました(…定員割れしてるだろうし、どうしても入学させたかった模様)。

というわけで、私は200万円の奨学金返済を背負うことになったのです(入学辞退すればよかったんだろうけど、どうしても資格を取りたかった)。

また借金は膨れ上がりました。

ついに私まで消費者金融に手を出すことに…

学校は無事卒業したものの、母が大けがをして身体障害者手帳所持者になってしまい、仕事ができなくなりました。

母の入退院が何度もあり、そのたび高額医療費制度を利用しても入院費を払うのがいっぱいいっぱいでした

3馬力で何とかやりくりしていたのに、とっくに定年を過ぎた年老いた父と私の2馬力になったため、家計が火の車です。

ついに母から「消費者金融からお金を借りてほしい」と言われました。

それだけは嫌で避けてきたところではありますが、もう首が回りません。「〇万だけだからね」と釘を刺して借りたのですが…それで収まるわけがありませんでした。

母から毎月のように、お金の無心があります。多い時には1回に15~20万円。あっという間に限度額の100万円に達してしまいました。

お金を稼ぎたいあまりに、高額塾やコンサルに…

あまりにお金がなさすぎて、会社員のお給料だけでは全然足りなくて、自分の力で稼ぎたいと思うようになりました。

理由は簡単。ネットで「スキル0から年収1000万以上」の人をたくさん目にしたからです(安易…)。

高額塾や個別コンサルで実績を出した人を見て

私も教えてもらって、たくさん稼ぎたい!

と思ったんですね(なんと単純なカモでしょう…まさにカモネギ)。

みんなと一緒の塾よりも個別に教えてもらった方が成長が早いはず、と考え個別起業コンサルティングを受けることにしました。

その金額146万円(税込み)。3万円×48回払い、意を決して申し込んだのです。

でも、結果は惨敗。50代くらいの女性コンサルタントは威圧的で丁寧な教え方ではなく、私は早々に脱落してしまいました。

146万円をドブに捨てた私は、どうしよう!この金額を取り返さねば!と焦り、起業コンセプトを決める超短期の個別コンサルに申し込みました(目も当てられない…)。

金額は33万円(税込み)。11,000円×30回払いで申し込み、コンセプトは決められたものの、その事業が軌道に乗ることはありませんでした。

ようするに、1円も稼げず

新たに約180万円の借金を追加で背負った私はさらに焦り、藁にも縋る想いで起業塾に入りました。

1年間で82万円(税込み)。2万円×44回(分割手数料込み)で契約し頑張ったものの報われず、総額260万円以上の借金が追加されただけでした。

…絶望です。

クレジットカードの毎月の請求金額は30万円

どうしても支払いにクレジットカードが必要なものがあり(現金払いできない)、ダメ元で楽天カードに申し込んだら審査が通ったのです!

実に20年ぶりにクレジットカードを持つことができました(ちなみに他のクレジットカードは作れませんでした)。

私は現金払いができないその支払いのためだけに大事に使おうと思っていたのに、このクレジットカードも生活費の餌食になり…現金がない時は母からクレジットカードで買い物をしてほしいと無心があります。

家族のことなので断ることもできず、(我が家はほぼいつも現金がないので)クレジットカードを多用することになり、毎月の請求金額が到底支払えるものではない金額に。

そのため、「あとから分割払い」を利用して分割するのですが、だんだんこの分割払いが積み重なってきて、ついに分割払い分だけで毎月約20万円。そこに今月の固定費引き落としと買い物分合わせて約10万円が積み上がり、毎月30万円の請求額になります。

そんなに払えるわけがないので、また「あとから分割払い」にして今月の支払額を下げるものの、分割した分は翌月以降に積み上がりますから、毎月首が回らないのです。

私の人生、一生借金なんて嫌だ!

このように、私の人生は常に借金まみれ。いくらかでも貯金があったためしなどありません。

大金持ちでなくてもいい、毎月の支出が収入の範囲内で収まる普通の生活がしたい。そのためには、しっかりと家計管理をして心構えも変えなければ!

ただ思っているだけじゃいけない、勉強してアウトプットしながら実践する、そのためにこのブロブを立ち上げました。

私ほどお金に困っていなくても、このブログが「家計を改善させたい」「少しでも余裕がある生活にシフトしたい」という女性の一助となればうれしいです。

一緒に頑張っていきましょう!(一緒にするなって?)

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